月舘町伝承民話集 -144/200page

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小手姫の事蹟と女神山(史考)

 小手姫はどんな家柄に生まれ、どんな身分の方であったかを、天皇の系譜及び、大伴家の家譜を調べて見た。

1、日本書記崇峻天皇のころ(32代天皇)
  崇峻元年春3月、大伴糠手連の女小手子を立てて妃となす。

1、敏達天皇12年、百済より日羅等吉備国児島の屯倉に来る。朝廷大伴糠手子連をして慰労せしめ任那(みまな)再建の策を諂問せしむ。(日本書紀巻二〇に依る)

1、小手姫の祖父金村は継体天皇の擁立者であり安閑、宣化の三朝に亘り大臣として全権を振い、欽明の初め物部氏は蘇我の馬子によって失脚し、その後蘇我権勢の独壇場となる。

 天皇家の系譜から見ても、大伴家の家譜から見ても小手姫は天皇家と婚姻するだけの資格ある豪族の生まれである事がわかる。ではそのような家柄に生まれて何故蚕や糸機の技術が具えられたか疑問となるが、百済より一生に三度替る宝の虫として欽明天皇12年に献上され天皇もこの虫をご覧になった記録もあり、わが国の蚕の始めとされる。当時は皇后も皇妃も自ら蚕を飼い糸をとり機を織って皇子や皇女の衣とした事は歴史上歴然とした事実であり、また百済から来た技術者に付いて習われるのは朝廷と、ごく一部の豪族の家 庭であったであろう。そうした環境にあった小手姫は11、2オ頃よりその技術を学ばれた、。従って蚕の飼 育、糸とり、機織りまで十分に技術を身につけておいでになったと考えられる。ではだれでも考える大和の


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