北会津村の文化財第27集 -006/039page

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5 荒田村館
6 真渡村館
7 一盃館
8 今和泉村館
9 下野村館

次の囲は城・館跡の分布図である。

文化6年書上げ 城、舘跡分布図
文化6年書上げ 城、舘跡分布図

4 板碑

 北会津村大字二方甲(今和泉村) にある板碑は、石造供養塔婆または 石仏供養碑とも呼ばれ、中世の供養塔の一つで、死者の冥福を祈るため や自分自身が死後の法事を営む、いわゆる逆修のため建てられたもので ある。材質は安山岩で高さ約百十糎である。昭和62年に村の文化財 に指定された。次の図は板碑の全景である。

板碑
板碑

5 蓮華寺草創

 治承元年(1177)蓮華寺草創、開基の僧は不詳となっている(会 津鑑(かがみ))。しかし新編会津風土記によれば、康暦元年(1379)鎌倉雪 下村の僧仁範が葦名直盛の勧めによって、会津郡下荒井村に真言宗松命 山清浄院蓮華寺を建立したと記されている。さらに次のように記されて いる。
 「仁範は高齢になってもなお願心やまず、高野に詣でて臨終を遂げよ うと思い、旅装をととのえ、杖にたすけられながら蟹川に来たところ、 川端で釣りをしている一人の翁にあいました。翁に仁範は「いづくに行 く」と問われたところ、仁範は宿願の由を語った。翁は。

  高野山よそにはあらじ下荒井
   三鈷の松の法の朝風

という歌を詠じて、その高野山行きを留めました。仁範は怪しんで「そ の松は何れにありや」と問うたところ、「その松は汝が寺の境内にあり、 これより汝が寺を松命山清浄院蓮華寺と号すべし」、といってその姿を 消しました。仁範は奇異の思いで寺に帰り、院内をくまなく探すとその 松正しく三葉にして確かに三鈷の称にかなっておりますので、仁範はこ の寺を終焉の地とすることに決め、修業につとめた結果寺運は興隆の一 途をたどり、塔頭も六坊を数えるほどになりました。院内の三鈷の松も


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