川俣町の文化財 -014/029page
で下流側半分が流され,さらに翌3年軽便鉄道が敷設された時に幅員を広くし修理補強された。昭和50年県道拡張工事により取払われる運命にあったが,地元有志の方々や関係機関の尽力により大清水に神橋として復元されたものである。設計施工者は布野宇太郎義成,弟源六義和兄弟で,布野氏は上杉氏家臣の家柄でその祖は西根堰工事の功労者と伝えられている。兄弟は「ぷっちの宇太郎,字彫りの源六」とうたわれた当地方きっての名工で,宇太郎の作には信夫橋(眼鏡橋),飯野新橋,金華山の灯台等がある。
木造薬師如来坐像・木造菩薩立像
〔所在地〕 川俣町大字東福沢字坊ノ入山1の2 薬師堂
薬師如来坐像は像高80cm,一木造りで背ぐりがなく膝部と両腕ははぎ合わせである。両手首は欠失している。サワラ材で漆ははげ素木造りのようになり植込みの螺発は残されていない。彫りは浅く膝部には埋木がある。民間の俗説によって鼻梁が削り取られている。彫法は簡素で平安中期末の手法を示している。
薬師如来坐像と同じ堂内に祭られている木造菩薩立像は,像高1.04m,台坐,両手先を失っている。短小な宝髪に造りづけの天冠がある。浅い彫りで復部の折り返し裳を前面に垂れ,腹部中央に蝶結びがあるがこうした例は多くない。伝承では虚空蔵菩薩の像とされるが薬師像と同材であり,薬師の脇侍である日光,月光菩薩のいずれかであろうとされている。
堂の麓(現道路沿い)には五十沢坊(三条院)の遺跡がありこの薬師堂は五十沢羽山の本地堂とみられ,以前は堂の下方に長床もあり木幡山参拝,羽山信仰の行や祭祀の場とされた。堂内には本尊薬師の新らしい脇侍の日光,月光,十二神将,三条院の不動三尊,五大明王などが祭られている。