霊山町勢要覧 -016/027page
歴史の息吹を感じる
歴史の森へ
霊山町の歴史奇岩がそそり立つ霊山の山並みは、
神々しいような独特の雰囲気があり、
見る者に不思議な霊気を感じさせます。
古来より人は霊山を霊峰として崇め、
まちは山岳仏教の地として歴史を歩んできました。
史跡名勝「霊山」で繰り広げられてきた歴史絵巻の数々…。
まちに残された歴史の息吹を探しに出かけてみましょう。奇岩怪石が織りなす霊山は、国指定 史跡名勝および県立自然公園に指定さ れています。独特の形をした岩々が神 秘的な景観を創り出し、どこかこの世 の風景ではないような厳かな気持ちに なります。
自然の澄みのもとで暮らしていた昔 の人は、現代に生きるわたしたち以上 に敬虔な思いで、霊山を眺めていたこ とでしょう。
清和天皇の勅命を受けた比叡山延暦 寺の座主円仁が、貞観元年(八五九) に開山したと伝えられています。円仁 は当時、随一の高僧でしたが、民衆か ら円仁さんと親しまれる人柄で、それ まで不忘山(忘れずの山)と呼ばれて いたこの山を、お釈迦様が修行したイ ンドの霊鷲山(りょうじゅせん)になぞらえて「霊山(りょうぜん)」と 命名しました。
山頂には霊山寺が建立され、山王二 十一社が勧請されました。峰々には大 規模な寺院がつくられ、ふもとには三 千六百にも及ぶ僧坊があったといいま す。奥州川の山岳仏教の 一大拠点として、四百 七十有余年の長きにわ たって隆盛をきわめ、 平泉の北奥文化に対し、 南奥文化の中心地とし て、遠く都にも評判が 鳴り響いていたようで す。当時は仏教が時代 の先端をゆく文化でし たから、霊山は平泉と並ぶ文化の発信 基地であったのです。
南北朝時代には、北畠顕家が南朝の 義良親王(彼の後村上天皇)を奉じて 要害の地・霊山に移りましたが、顕家 の死後、北朝に攻撃され全山焼き尽く されてしまいました。