月舘町伝承民話集 -002/200page

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宝 篋 塔(ほうきょうとう) 物 語

 今から約二百年程前、月舘の旧家Kさんの二男に生れたH氏は、村一番の知識人といわれていました。そしていろいろの仕事を始めて二本松、三春、白河、仙台などに出かけて学者や文化人と交わり、その意見などを聞いて村のために役立てようとしていました。H氏はその頃旧家K家より嫁を迎え、三人の子どもがありましたが、家に落ち着くひまもなく、諸国をめぐっていろいろな仕事に心をくだいておりました。しかしH氏の留守中にふとしたことから子どもが病気になり、次々と三人の子が倒れてしまったのです。嫁さんは夫の留守中のことでもあり、夜も寝ずに看病したのにその甲斐もなく三人とも死んでしまいました。そして嫁さんも看病の疲れと、子どもの死という大きな衝撃を受けて遂に病に倒れ、夫の留守中に遂に死んでしまいました。

 H氏は旅先でこの不幸の知らせを聞きました。急いで帰ってみると、妻と三人の子どもの位牌が寂しく仏壇に並んでありました。H氏はたまらなく悲しみました。そして親戚や近所の人達と相談して観音堂のわきに、宝篋塔をたてて、亡き妻と子どもたちの霊をていねいに供養してやりました。

 今も字町の観音様のとなりに、立派な宝篋塔がたっています。寛政年間に建てたこともH氏の名もきざまれています。


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