月舘町伝承民話集 -172/200page

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ならないと竪く禁じられている疣石です。

 何時の時代から、又どうして雨降り石と呼ばれるようになったかは詳らかでありませんが、古老の言い伝 えによると、今を去る1350、60年前頃、女神山の中腹には時の王妃小手姫が、糸織りの業を近隣に教 えられつつお住いになったと言われ、後崩御になられてその遺体は、高貴なお方故頂上に葬られたと言われ ます。

 其の上に沢山の疣石を積まれたと思われたために疣石に登れば、罰が当る其の罰に雨が降ると伝いら現在に至 っておるのではないでしょうか。現にその周辺を歩けば、空洞を踏むような軽くどんどんと響きがいたします。 又一説には、時には未曾有の旱ばつで田圃の稲は枯死し、畑作物も枯死寸前に追込まれ、山野の草木も枯れか けたと言われます。勿論、飲用水も喝を潤すにも足らない程でその惨めさは言語に絶するものがあったと言 います。

 其の惨めさを目のあたりに見た小手姫は、隣愍の情禁じ得ずお供を連れて女神山上に登られ、疣石に座し て雨乞いのお祈りを捧げました。ところが、暫くすると西の方から雨雲が広がり盆を覆すような雨になったと言 われます。周辺農民の喜びは、たとえようもなく後で、その行事を聞いた農民は、小手姫の有難さが身に泌 みるとともに、小手姫の座した疣石を雨降り石と呼ぶようになったとも伝えられています。

 昭和18年頃には稀なる大旱ばつで、地元上手渡は元より糠田下手渡と大勢の百姓がみの笠着用で登山し、 神主のお祓を受け雨乞を祈祷共々御神酒をいただきながらその疣石に登って

「雨タメ用神ダー西カラ雲ブッ立ッテ雨ザァザァ降ッテコヨー」と連呼しつつ雨乞いをいたしました。


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