わたしたちの町あだち-054/059page

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(2)安達町の地名のおこり、町の成り立ち

●地名のおこり
 1000年以上も古い昔から、「あだたら山」のふもとに広がる広い地いきを「あたち」と呼んでいました。
 「あたち」というのは、天にそびえ立つ「あたたら山」のすがたから天立つ(アマタツ→アタツ→アタチ→アダチ)とよばれるようになったと考えられています。
 あだたら山をもっとも美しくながめられるわたくしたちの町は「安達町」と名づけられました。

あだたら山とあだたら神社(渋川)
▲あだたら山とあだたら神社(渋川)

●町の成り立ち
町の成り立ち
 昔はたくさんの小さな村がありました。
 今から100年ぐらい前、それらの小さな村がいくつかずつ集まって油井村、渋川村、上川崎村、下川崎村という4つの村になりました。
 1955年(昭和30年)油井村、渋川村、上川崎村の3つの村がいっしょになって新しい大きな村になったとき「安達村」という名前がつけられました。
 そのあと下川崎村の一部が安達村に入り、油井村の一部が二本松市に入るなど、いろいろなうつりかわりもありましたが、村の人口もだんだんふえ、1960年(昭和35年)に「安達町」という町になりました。安達町は福島市と二本松市の間にあって、昔から交通の上でたいせつなところとしてさかえてきました。

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安達町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。