本宮町町政要覧 -042/043page
[歴史]
あだたらはさまぎまな歴史と人間のドラマをやさしく見つめてきた
馬頭観世音が安置されていたが、後年伊達 氏が持ち去ったが一夜のうちに岩谷に御影 が刻みこまれたという不思議な観音様。
鰐口とは、社寺の堂の軒にかけ綱で打ち鳴 らす道具のこと。この鰐口は直径18センチ の青銅製で、1524年、大和秀次の作。
エドヒガンの技垂れで、幹は東北に相対 している双樹の桜。四月上旬〜中旬にかけて 淡紅色の花をつける。
岩根の街並を見おろす苗代田神社の境内に あり、樹齢200年といわれている。
この付近は多くの古噴かあった所で、七ツ 坦とも言われていたが、現在は天皇壇を含 め四つの古墳が残っている。
大正13年(1585)11月17日、常陸の佐竹をは じめ会津の芦名ほかの連合軍と伊達政宗が、東北の覇を争う激戦を展開したところ。
永年にわたる本宮の歴史を物 語る史跡が、まだ数多く残さ れています。本宮の名の起り にもなった安達太良神社。源義家伝説のある岩井の清水。 そして強者どもが夢のあとの ごとく、戦国武将たちが命を かけて戦った合戦跡など…。 そこにたたずみ、歴史を振り かえるたびに、先人たちの人 間ドラマが伝わってきます。
「奥州街道本宮なくば、何をたよりに奥がよい。」
江戸人形浄瑠璃(甚太平記白石噺)より