平成14・15年度版 ふるさと郡山の歴史 -009/041page

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どんな家に住んでいたのかな

調べてみよう!
調べてみよう!

 800年前、この道路には、「奥大道(おくのたいどう)」という南北(なんぼく)に通(とお)る道路(どうろ)があり、その両側(りょうがわ)には掘建柱建物(ほったてばしらたてもの)といわれる家々(いえいえ)が立(た)ち並(なら)んでいました。家の裏(うら)には、井戸(いど)が掘(ほ)られていて、溝(みぞ)や道路跡(どうろあと)なども見つかっています。きちんとしたまちづくりがなされていたようです。

当時の家(想像図)
当時の家(想像図)

井戸

 

みらいちゃん
これは何だろうね。 どのように使われていたのかな。

どんなくらしをしていたのかな

 荒井猫田遺跡(あらいねこたいせき)からは、中国(ちゅうごく)や岐阜(ぎふ)県、愛知県などから 運(はこ)ばれてきたつぼや皿(さら)などの焼(や)き物(もの)が数多(かずおお)く見つかっています。お金を使ってものを売(う)ったり、買(か)ったりするようになったのもこのころだといわれています。いろいろな地方(ちほう)との交流(こうりゅう)が行(おこな)われていたことがわかります。

常滑焼(とこなめやき)のつぼ
常滑焼(とこなめやき)のつぼ

 石(いし)でできている「茶臼ちゃうす)」は、お茶の葉(は)をひいて粉(こな)にして、抹茶(まっちゃ)を作る道具です。

 「木簡」は文字の書いてある板の総称(そうしょう)です。この木簡は、書いてある文字から、おまじないやお祈りなどに使われていたことがわかりました。

 このころの人々は、どんなくらしをしていたのでしょうか。800年前の町並(まちな)みをくわしく調べてみましょう。

木簡(もっかん)
木簡(もっかん)

茶臼(ちゃうす)
茶臼(ちゃうす)

ひらく君

これは、そのころ使われていた道具だよ。何に使われていたのかな?

フィールドワーク

●荒井猫田(あらいねこた)遺跡 郡山市字川向(※今は見ることができません)

●郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団(こおりやましまいぞうぶんかざいはっくつちょうさじぎょうだん)  郡山市本町1丁目20番22号 電話024-934-8358

●身近にある地名で、「館(たて)」「堀之内(ほりのうち)」の地名を探してみよう。

 (当時屋敷(とうじやしき)のあった場所(やしき)が、現在(げんざい)も地名(ちめい)として残(のこ)ったものなのです。)





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