平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -020/041page

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7 安土桃山時代

安土城の石垣

▲安土城の石垣

まさおくん

これは・・・・。 石垣の一部みたいだけど これも郡山にあるの?

博士

これは、郡山の田村町守山地区にある「守山城」というお城の一部だよ。 この時代になると、徐々にお城に石垣が作られるようになったんだ。

城に石垣ができたのはなぜだろう? なぜ、守山の地に城が築かれたんどろう?

南奥羽戦国期の勢力範囲図

▲南奥羽戦国期の勢力範囲図

大正18年(1590)年豊臣秀吉が行った『奥州仕置(おうしゅうしおき)』により、それまで伊達氏が支配していた 現在の郡山や会津の領地が取り上げられてしまいました。奥州仕置後、伊勢(三重県)から蒲生氏郷(がもううじさと) が会津に入り、郡山は蒲生氏郷の家臣(家来)が支配することになりました。
 蒲生氏郷の家臣で、田村町いったいを支配した人は、最初三春城に本拠地を置いたのですが、すぐに 現在の田村町守山に移りました。守山には、戦国時代に田村氏が築いた守山城があったと言われていますが、 それを改築し石垣のある立派な城に造りかえたようです。城に石垣が築かれるようになったのは鉄砲が 戦いの主流になってから以後のことです。
 守山の地が本拠地に選ばれたのは、現在の岩瀬と三春を結ぶ街道が通り、陸上交通の要所であったからと 言われています。

一口メモ


「奥州仕置き」
1590年、小田原北条氏滅亡後、秀吉は会津に来て、東北地方の大名の領地替え行った。小田原攻に参加しなかった 者の領地を没収し、諸大名に与えると共に、伊達氏の所領でも領地がえが行われた。


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