わたしたちの郡山市-041/068page

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市のむかしのことを調べているおじさんの話


猪苗代湖の水は,むかしは日橋川として湖の西にしか流れていませんでした。湖の西がわの村々では,十六橋にせきをつくって,水を田畑に引いていました。
日橋川の水をつかっていた村の人々は,安積疏水ができると湖の水がへってしまうのではないかと心配して,疏水の工事に反対したのです。
そこで,水面のひくくなる分だけ,日橋川の川ぞこをほり下げ,橋をつくり直して,橋の下に水門をつくり,水量を調節できるようにしたのです。

「湖の西がわに住んでいた人々のことも考えていたんだね。」「水は,安積原野に住む人々にも湖の西がわに住む人々にとっ
ても,とても大切なものだったんだね。」「十六橋水門は湖のどちらに住む人々にも公平になるようにとつくられたんだなあ。」「今もきちんと,役にたっているんだって。」「すごいな。」「十六橋水門以外の工事にも,いろいろなくふうやくろうがあったんだろうね。」みんなは,工事が湖の西がわからはじめられたわけがよくわ
かりました。そこで,さらに疏水の工事についてくわしく調べてみることにしました。

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