須賀川市人物読本 先人のあしあと -085/134page

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東京オリンピックと円谷(つぶらや)幸吉選手

 「円谷!、がんばれ、あと二百五十メートル、あっ、あぶない円谷!」日本中のテレビ・ラジオのアナウンサーが、円谷選手の応援(おうえん)に大きな声を張(は)り上げていました。

 昭和三十九年十月二十一日、午後三時すぎのことです。東京オリンピック最後の競技が、陸上競技の花といわれたマラソンでした。エチオピアのアベベ選手、つづいて円谷選手、そのあとすぐにイギリスのヒートリー選手。円谷選手とヒートリー選手とのきょりは、わずか二・三メートル。ヒートリー選手はスピードをあげ、みるみるうちに円谷選手にせまり、はげしく追いあげてきました。

 大スタンドの目の前でくり広げられた息のつまるようなはげしい二位争いに、外国の人たちもみんな立ちあがり、二人にせい大な応援をしました。ゴール少し


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