わたしたちの町 鏡石 - 056/125page

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せんそうがあったころ(60年ぐらい前)

 せんそうがはげしくなる前は、遠足にも行っていました。そのころの子どもたちは、くつではなく、わらじをはいていました。

役場の近く
役場の近く

 1943年(昭和18年)ごろから、せんそうがはげしくなり、食べものが少なくなりました。子どもたちも、勉強(べんきょう)するだけでなく、食(しょく)りょうをつくる仕事(しごと)をするようになりました。

畑に出て、いもや豆(まめ)などの食べものをつくることが多くなりました。

小学生の開こんさぎょう
小学生の開(かい)こんさぎょう

 くうしゅうがはげしくなると、かくれるために、防空ごうを、あちこちにほるようになりました。

小学生の防空ごうほり
小学生の防空(ぼうくう)ごうほり


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