ふるさと昔話 2 - 051/066page

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  光輝く珍しい玉の話

 

 元禄の初めの頃の話でした。今泉の永禄寺というお寺に観松(かんしょう)というお坊さんがおりました。
 観訟さんは、新潟の山奥の川の中から光る珍しい玉を拾って来ました。この玉は、菊の花のもようがあってピカ ピカとかがやく、すばらしい石の玉でした。

 お寺の本堂にお供えして置くと、夜など遠くからお寺を見ると龍宮城のようにボーツと輝いて見えました。だから、近郷近在の人々は今泉の永禄寺様はお光のお寺様だ。薬師瑠璃光寺(やくしるりこうてら)様だと呼んでお参りをしました。

 この玉で からだの悪いところを撫てもらうと、だんだんよくなりましたから、ありがたいお薬師様の宝珠さまだとありがたがられて、遠くからも杖をついたり、車に乗ったり、馬やかごに乗って病人がわれも、われもと集ってきました。

 このことがお殿様のお耳に入りました。そこでお殿様は「これはすばらしい玉だ。こんな珍しい玉をいなかのお寺におくのはもったいないから、お城へあげさせよう。そして城下町のわしの寺に置いて、わしがお金をもうけようと考えました。

 そして、お寺に使い出し、この珍しい玉をお城へ献上させました。それに替わるものとして、お薬師様の木像をのこしました。
 村の人々は、お寺の西の岩山の南向きにお薬師堂を建てておまつりしておがみました。
 このお薬師堂は、夕方のうすやみの中にボーッと龍宮城のように輝やき、光る玉がある時と同じく、お参りをする人々にありがたいご利益(りやく)をさずけてくれました。

 ところが、ある年のことでした。江戸に熱病が流行(はやり)ました。今泉村の江戸のお殿様の若君様とお姫様、それに、今泉から江戸屋敷へ仲間(ちゅうげん)奉公にあがっていた弥作と嘉作の二人も一緒にかかってしまいました。

 ありがたい光の玉で若君様とお姫様は毎日からだを撫ていただきましたが、仲間(ちゅうげん)奉公にあがっていた弥作と嘉作は一回も撫てもらうことができませんでした。

 そのせいで、あったかないかわからないが若君様とお姫


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