ふるさと昔話 2 - 053/066page

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  団子童子の田うないの話


 むかしむかし、上柱田村に、はやり病気がまんえんし、沢山の村人だちが高い熱を出したり、下痢をしたりして、死ぬ人々が沢山ありました。このままでは、田畑の仕事がおくれて、お米もとれないのではないかと心配しました。そこで村人は、鹿島神社の神主様の処へ行って「どうしたら、よかんべーかー」とたずねました。神主様は天をあおぎ見ながらしばらく考えておりましたが「キナ粉団子をつくって、自分の入口のところに紙につつんでおいてみろ!この団子があくる朝、なくなっていればその家の家族の病気は治るぞ」と教えてくれましたから、村人は皆んなそのとおりに実行をしました。

 ところが、三十六軒の家の団子が消えてなくなりました。団子のなくなった家の家族の熱もさがり、下痢も止まり、病気もだんだ快方に向いました。

 そればかりではありません。ある夜、見なれない男が、戸口にあらわれましてこう言いました。「お団子どうもありがとう。とてもおいしかったですよ。お礼に田うなえを手伝ってあげましょう!」と言ってたちさりました。

 四、五日すぎて、田んぼへ行って見ると、自分の家の田んぼが綺麗にうなわれているではありませんか「これは一体どうしたことなのだ。一体、これは誰がうなったのだろう!」「さて四、五日前に来たあの見なれない若い男なのだろうか。頬かぶりしていたから誰だかよくわからなかったが、あの若い男は一体誰だったのだろうか」と、不思議に思って、また、鹿島神社の神主様におたずねしました。

 神主様はしばらく天をあおぎ、じーっと天を見つめていましたが「これは、おそらく前山の雨降山(あめふりやま)の鹿島神社の神様のお仕い童子(どうじ)の三十六童子(どうじ)が、お前さんがたの困っている姿を見られ気の毒に思い、やってくれたに相違ない。きっとそれに相違ない」と、言いました。鹿島様には、こんがら童子(どうじ)、せいたか童子(どうじ)等の三十六人の童子(どうじ)がお仕いをしていて、神社をお参りする人々の困っていることを、よく調べていてと、救ってくれる大変ありがたい神様なのだと、神主様は教えてくれました。


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