第3・4学年社会科学習資料 わたしたちの玉川村 - 043/102page

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(3) 今の玉川村になるまで

明治5年(1872)ごろは西がわの地いき(小高,中,岩法寺,竜崎,川辺,ひりゅう)は6つの村に分かれ、東がわの地いき(南須釜,北須釜,吉,山小屋,山新田,四辻新田)も同じく6つの村に分かれていました。でも明治22年(1889)になると、西がわの地いきも、東がわの地いきも、なかよく6つの村を合ぺいし、泉村(西),須釜村(東)となりました。
昭和30年(1955)3月に、泉村と須釜村がいっしょになって、今の玉川村となりました。

今の玉川村になるまで

<人口のうつり変わり>
人口のうつり変わり


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