第3・4学年社会科学習資料 わたしたちの玉川村 - 078/102page

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B ダムから水を引く

 右は、スプリンクラーを使って畑に水をまいている写真です。東部地区ではあちこちにこのような光景(こうけい)が見られます。この水はどこから引いてきているのでしょうか。  

須釜地区の畑
(須釜地区の畑)

 千五沢ダムを造(つく)り、その水を引いて田畑に豊かな作物が実(みの)るようになった様子(ようす)を調べてみましょう。

ア 千五沢ダムを造る計画ができるまで

 昭和33年、福島県南部は大きな日照(ひで)りの害(がい)を受けました。これがきっかけとなって、農家の人々は用水源(げん)を確保(かくほ)するための、農業総合開発が行われるよう強く願うようになりました。昭和35年から、国が調査を始め、水源(すいげん)として北須川をせきとめて千五沢ダムを造る計画が立てられました。そして、国営総合開発事業(こくえいそうごうかいはつじぎょう)として、昭和43年3月から工事が始められました。
 始めは、開田703.2haをふくむ2,580haの計画でしたが、昭和45年からの米の生産調整(せいさんちょうせい)のため、開田(かいでん)は全部中止(ぜんぶちゅうし)となり、かわりに畑地かんがいに切りかえられました。しかし、千五沢ダムは計画どおり造られることになり、機械(きかい)化・集団化された近代(きんだい)農業を目ざして開発(かいはつ)することになりました。

イ 千五沢ダムの完成

千五沢ダム  
昭和45年7月 土を盛り始める
昭和46年11月 土盛り完了
取水施設・管理棟(かん
りとう)の工事を始める
昭和50年3月 全部の工事完了

工費 3,390,000,000円
水没戸数     38戸

 ダムの完成により、田畑に水を引けるようになっただけでなく、水量を調節できるので、洪水(こうずい)を防(ふせ)げるようになったり、まわりの環境(かんきょう)もよくなったりしています。


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