あさかわ 浅川町勢要覧2000◎町制施行65周年記念 -004/038page
その始まりは、江戸時代にさかのぼる
とどろくような大音響とともに地響きが起こり、城山の頂上から火花が降hソそそぐ。まるで噴火したかのように地面から扇形の火花 を散らす「地雷火」は、ほかでは見ることのできない浅川独特の花火である。
毎年八月一六日になると「浅川の花火/誰も見たがる/見せたがる」と盆唄に唄われるように、浅川は花火一色となる。花火大会のフィ ナーレとなる地雷火を一目見ようと、町内はもとより周辺の市町村などから約三万人の見物客が集まり、まちはにぎわいを増す。 この花火を打ち上げているのは、本町と荒町の両町青年会のメンバーおよそ一一〇人。本職の花火師は一人もいないが、全員が日本煙 火協会の花火打ち上げ免許をとり、花火師から講習を受けて当日に臨んでいる。
もともと浅川町で花火を打ち上げ始めたのは江戸時代のこと。その背景には諸説あり特定することはできないが、永く浅川の人々に よって打ち上げ花火が受け継がれてきたことは間違いない。その歴史に画期的な動きがあったのは昭和三六年。青年会の問で話題になっ ていた花火を実現させ、玉名を「地雷火」と名づけたのである。地面に直接セットした花火が炸裂する 「地雷火」 は以後、名物花火とし て定着、浅川花火の代名詞ともなっている。光と闇の協奏曲
城山を紅色に染める地雷火、300年余りの伝統・浅川花火
父から息子へ、そして、またその息子へと受け継がれてきた浅川の花火。
ここに暮らす男たちの手によって300年も前から打ち上げられてきた花火は、永い歴史の中で第二次大戦など厳しい情勢にあっても途切れることなく夜空に咲き続けた。 時代が移り変わった今でも、浅川には夏の夜空に大輪の花が咲く。
その鮮やかな火の芸術は、まちの明日を鮮やかに彩っているかのようでもある。
鳥になって、浅川を知ろう@
荒町青年会のメンバー(昭和21年)。伝統の浅川花火は、彼らの情熱と努力によって脈々と受け継がれてきた。