あさかわまちが生んだ偉人-087/093page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

内田稔翁のあゆみ
1934 1927     1914   1911 1908 1905 1898 1892 年代
(昭和9) (昭和2)     (大正3)   (明治44) (明治41) (明治38) (明治32) (明治25)  
○航空機用燃料系統、油圧系統などの機械部品メーカーとして打ちだ製作所を創設する。社長は稔一名である。 ○樺太(現サハリン)に渡り、製紙機械の建設等を手掛ける。 また、オランダ・ドイツに渡り技術の修得に励む。 ○日本政府から技術研修のためスマトラに派遣される。 ○朝日奈鉄工所に入社する。 ○六百キロのモーターの製作にたずさわる。(このモーターは現在日立記念館に陳列してある) ○岩倉鉄道学校(大宮)機械科を卒業し、久原鉱業(現在の日立製作所)芝内製作所二入社する。 ○私立石川中学校三年で中退し、岩倉鉄道学校(大宮)機械科に入学する。 ○浅川小学校を卒業し、私立石川中学校(現在の学校法人石川高等学校)に入学する。 ○浅川小学校に入学する。 ○九月三日、福島県石川郡浅川村字本町三四番地に父惣助、母ヨネの三男として生まれる。 できごと

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は浅川町教育委員会に帰属します。
浅川町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。