【History】
三春の歴史
◆中世みちのくの隆盛を伝える城下町
●田村麻呂伝説の里
三春には、坂上田村麻呂に関わる伝説が数多くあります。「三春駒」もそのひとつ。東征のため京の都を出発するとき、清水寺の僧延鎮が、仏像建立の木切れで百体の馬を作り持たせました。大多鬼丸との戦いで苦戦をしていると、この木馬が駿馬として現れ、田村麻呂を助けたという伝説から、三春駒が作られたとも言われています。
城山公園
●東北の豪族秋田氏
江戸時代三春は、藩主秋田氏によって五万五千石を領する城下町として繁栄しました。秋田氏の祖は、鎌倉幕府より蝦夷管領に任命された安藤氏で、その当時、東北・北海道に勢力を誇っていました。東北の歴史とともに歩んできた一族。三春では、たび重なる飢饉や災害に苦しみながらも、経済、文化の面で県内有数の城下町へと発展させました。
舞鶴城跡
秋田氏の菩提寺高乾院
●田村氏と伊達政宗
室町時代、三春に居を構え田村地方で勢力を強めた、義顕・隆顕・清顕の三代を「田村三代」と称しています。群雄割拠の時代、清顕の一人娘愛姫(陽徳院)は、「独眼竜」と呼ばれた戦国から江戸時代の武将伊達政宗の正室となりました。伊達政宗は、郡山合戦ののちしばらく、三春城に滞在したことも知られています。
田村氏三代の墓がある福聚寺
●自由民権運動発祥の地
三春は、「西の高知、東の三春」と並び称され、全国に先駆け、国会開設、憲法制定など活発な運動を展開した自由民権運動発祥の地です。三春出身の河野広中は、板垣退助と並ぶ自由民権運動の代表的人物です。
裏道通りの土蔵
藩校所表門
◆風土が育んだ夢と情熱。三春ゆかりの人々。
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雪 村 |
三春は、戦国時代の画僧、雪村の終焉の地。雪村は、室町水墨画の世界では雪舟と並ぶほどの画家。雪村の画題は、山水・花鳥・人物など多彩で、題材に対する解釈や筆法にも、目を見張るものがあります。また、個性的な表現の作品群は多くの人々を魅了しています。雪村が晩年を過ごした庵は、「桜梅山雪村庵」として今でも親しまれています。 |
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伊達政宗夫人陽徳院 |
天正七(1579)年、三春城田村清顕の娘愛姫は、伊達家十七代の政宗と結婚。才色兼備と称され、政宗との間に仙台二代藩主忠宗、五郎八(いろは)姫等四男二女をもうけました。のちに出家して、陽徳院と名のりました。承応二(1653)年一月二十四日没。八十六歳でした。 |
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河野 広中 |
嘉永二(1849)年七月三春町大町生まれ。明治大正時代に、自由民権運動を叫び、普通選挙運動の総帥として政界に君臨した偉大な政治家。国会開設と同時に代議士となり、衆議院議長を経て大正四(1915)年には大隈内閣の農商務相に就任するなど活躍しました。 |
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大林 賢四郎 |
日本を代表する建設会社「大林組」が会社組織としてスタートしたときの初代社長。三春町出身。東京大学を卒業すると同時に大林組に入り、その後大林組創立者の大林芳五郎氏の婿養子となりました。社長の時には、旧三春小学校の講堂を建築して三春町に寄付するなど、有形無形の多大な功績を残しています。公民館の大林ホールは、大林家の本町への功績・誠意に応える意味で「大林ホール」と名付けられています。 |
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田部井 淳子 |
三春町生まれ。登山家。1970年ネパールのアンナプルナIII峰登頂が登山の始まり。1975年に女性として初めてエベレスト登頂に成功、国際的な話題を呼ぶ。1991年には南極のビンソンマチフに登頂し、女性として前人未踏の六大陸最高峰登頂を成し遂げて、同年制定された福島県民栄誉賞の第1号を受賞。三春町名誉町民。 |
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