三春の歴史-006/52page

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2)西方前遺跡

西方前遺跡は、中妻の西方にあり、大滝根川のそばの大地のひくい、たいらなところにあります。
ここは、今からおよそ3千年前ころの遺跡で、そのころの人々の使った土器や石器がたくさん出土しています。
西方前遺跡は昭和51年と59年などに調査がおこなわれました。
ここからは、人々の住んでいた住居あとが、発見されました。また、穴をほって、その中に土器をうめたものや、石を円形に並べてしいたあとなどが、いくつも発見されました。
穴の中にうめた土器からは、人の骨や動物の骨が発見されることもありここは、儀式をする祭だんのあとではないかとも考えられています。
西方前遺跡からは、土偶の胴体や手、足、それに耳かざりとか魚をとるあみにつけた重りなどが、出土しています。
堂平遺跡では、おもに山の木の実をとったり、動物をとったりして生活していたことがわかりましたが、西方前遺跡では、大滝根川の魚をさかんにとっていたようすがわかります。

やがて今から2千年ほど前になると、人々は、アジア大陸から伝えられた米作りの技術を学び、それまでのかりや漁のくらしから、米作りをとり入れた生活に変わり、低地で水の得やすい場所に住むようになりました。
このころを弥生時代といっていますが、三春町にはこのころの遺跡が発見されていませんでした。
ところが昭和59年の調査で、西方前の縄文時代の遺跡の近くから、弥生時代の土器が発見されました。


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