絵馬(油彩、洋人曳馬図)
県重要文化財
昭和55年3月28日 県告示 第3号
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●所在地/大字小戸神字日向128 東堂山満福寺
縦120p、横155pの家屋型の大絵馬で、杉材4枚を横にはぎ合わせた上に下塗をし、油彩で仕上げた洋風画である。「奉納」「享和二壬戌年七月吉日」「岩瀬郡小倉村講中」の墨書の他「田善之印」「亜欧陣人」の2つの描き印象がある。従って、亜欧堂田善の筆になるこの絵馬は、享和2年(1802年)小倉村(今の須賀川市小倉)講中によって奉納されたものであることが明らかである。 |
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木造阿弥陀如来及両脇侍像
県重要文化財
昭和50年3月6日 県告示 第3号
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●所在地/大字小野赤沼字寺前72 無量寺 阿弥陀堂
磐越東線小野新町駅より 石川行バス房内下車、徒歩5分
中尊像高91.5cm、観音像高105p、勢至像高103.7p、中尊は定印を結ぶ、阿弥陀如来像で、頭体部を通して、ヒバ材と目される材から木取りし、首、両肩先、膝前、腿部を矧ぎ寄せる構造である。
小さな彫り付け螺髪、定法どおりの内髻、切れ長い伏目の彫眼、豊かな頬、彫りの浅い偏袒右肩の納衣、軽く裳先に流れる浅い衣丈など総じて均整のとれた穏やかな肉取りと整理された衲衣の構成は藤原末期の作風の特色をよく示している。両脇侍もヒバ材とみら松寄木の手法も中尊に準じている。宝髻が小さく、丸顔で、肩腹、腰部が厚く、左右に腰をひねる腹部の二重くびれなど厚みがある。衣褶は繁雑さがなく、裳裾は左右相称である。天衣は両下脾で反転し、脛部左右の裳裾をくくらず簡古な制をとっている。台座は天正11年元禄8年修理銘のある蓮弁、束框を除いて当初のものとみられる。
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