滝根町教育委員会 生涯学習課要覧 -001/038page
1. 町 の あ ら ま し
(1)「滝根」の地名由来
阿武隈山系最高峰大滝根山は、山容広大、古くより住民信仰の霊山であった。延歴年間坂上田村麻呂将軍がこの地を開拓した王者といわれ、大多鬼丸を霊山頂上でほろぼしたと伝えられておりますが、明治22年町村制実施の折り、これらにあやかって、霊場、史跡として信望のあるこの雄山の名をとり「滝根」と名づけたといわれている。(2)沿 革
滝根町は、上古においては陸奥国、あるいは日高見の国と呼ばれ、エゾが居住しており東夷の国と呼ばれていた。征夷大将軍坂上田村麻呂の東征によりエゾの支配下より大和に属し、成務帝により全国に64の国造りが進められ、当時白河軍団に属した。
嵯峨帝の頃に、京都から救民ぷ育史として小野篁(おののたかむら)が当地に下向され示開の民に殖産興業を授け、学問を教え、産業・文化が開かれ、土俗を啓発し、農民として開化された。地方の民は、その徳をしのびこの一帯を小野六郷と呼んだ。
以来、幾多の領に属し年を経て明治元年三春藩領、明治9年福島県管轄となり明治22年4月町村制実施により、菅谷村、神俣村、広瀬村の各村が合併して滝根村が生まれ、昭和15年町制実施により滝根町となり現在に至っている。(3)位置及び面積
位 置
東 経 140°39’35”
北 緯 37°18’56”
東 西 6.1km
南 北 8.5Km
平均標高 455m総 面 積 50.70ku
田 3.46ku
畑 4.28ku
山林 21.33ku
原野 2.39ku
宅地 0.80ku
その他 18.44ku(4)地 勢
阿武隈山系のほぼ中央部に位置し、山系最高峰大滝根山の山ふところにある。東はいわき市川前、双葉郡川内村に接し、西は小野町、大越町に、南は小野町の一部に、北は大越町にそれぞれ隣接しており、南北にやや長く、四方山岳に囲まれ、隆起準平原地帯であり高原状の山間地帯である。
川の流れは比較的ゆるやかであるが、牧野川(大滝根川)と夏井川の分水になっている。県道が東西南北に縦横断している。
小さな町ながら交通の便がよく、鉄道が南北に走っていて、駅は磐越東線、神俣駅、菅谷駅と二つがある。