郷土学習資料集 わたしたちの町 おおごえ - 054/065page
(2) 交通のうつりかわり
@ むかしの大越町のようす
明治のはじめごろ(120年前)までは、上大越の町ふきんは宿場町で、問屋場やはたご屋などがおかれ、旅人や荷物などのせわをしていました。明治7年には郵便局もおかれたのですが、明治21年(100年前)にいわき街道が牧野の方を通るようになると大越の方を通る人や荷物が急に少なくなり、町は急にさびれてしまいました。郵便局もいわき街道ぞいの門沢にうつされました。
(畑の中に半分うずまってしまっている。(左面にほりごし・右面にときわ・正面、にひろせ)と書いてある。)
道しるべ石(上大越古町地内)
A 大越駅ができる
大正4年、磐越東線が開通し、大越駅ができると、汽車を利用する人たちが集まるようになり大越は駅前を中心に、にぎやかになってきました。駅前には、旅館や商店ができ、電とうも町では一番早くともりました。汽車はいちどに多くの荷物をのせて出せるので、石粉工場や石灰石をつみ出す工場ができ、運送会社もできました。
朝夕は、郡山市や三春町へ通うつとめの人や学生が乗り降りし、ひるは汽車に荷物をつみおろす人たちでいつもにぎわっていました。(今の大越駅)大越駅利用のようす
(大越駅調べ)
\年
区分\ 59 60 61 62 63 平成元 2 利用する人 年 間 205,130人 196,033人 19,545人 178,975人 172,191人 171,266人 165,612人 1日
あたり 562人 538人 519人 488人 478人 467人 474人 出す荷物 年 間 320,828t 不明 不明 428,900t 412,940t 334,458t 397,798t 1日
あたり 879t 不明 不明 1,175t 1,131t 916t 1,089t