東村村勢要覧 -018/019page
豊かな教養と文化の薫る健康で生きがいのある東村をめざして
東村は、福島県の南部に位置し、米作を中心とした農業を基幹産業として「農・商・工」調和の取れた産業の振興を推進して来ました。
近年、福島空港を初めとした高速交通網が整備され、大都市への時間短縮がされたことから、人と物の出入りが急激に多くなっております。
こうしたなか、教育、環境、福祉など、全てにバランスの取れた行政を行うことが、真の住み良さを生み出す地域をつくることであると確信し、村づくりに取り組んでまいりました。
これからも、地域住民が主役となる行政を推進するため、21世紀の森運動公園を中心とした施設の活用を図り、高齢化社会に向けた新たな施策や、生涯教育を基本とした文化活動の場、地域・世代間交流の場、スポーツ・レクリエーションの場の提供など、人と人とのふれあいを重視した施策に取り組んでまいります。
この村勢要覧は、これまでの東村の紹介と、これからの東村を考えていただくために作成いたしました。
高齢者が生きがいを持ち、子供たちが将来に希望を持ち、全ての人が住むことに誇りを持てる東村をつくるため、精一杯努力する所存でありますので、皆様のなお一層のご指導、ご協力をお願いいたしましてご挨拶といたします。
平成13年1月
東村村民憲章
一、自然を愛し、うるおいのある村をつくりましょう。
一、健康で楽しく働き、活力ある村をつくりましょう。
一、きまりを守り、住みよい村をつくりましょう。
一、互いに助けあい、明るい村をつくりましょう。
一、教養を高め、文化のかおり豊かな村をつくりましょう。
(昭和60年8月制定)
村 章
は、東を図案化した ものであり、 は東村を囲んで、村を中心に協力 一致、円満なことを表し、 また東から昇る太陽のご とく、雄大にしてますま す発展することを意味し ます。
東村の1日を紹介してくれたきつねは、きつねうち温泉のマスコットです。
沿革
1741年から明治までの127年間は越後高田藩分領として浅川陣屋 及び釜子陣屋により統治されており、水戸街道の宿場として人馬の往 来や商業活動等盛んであったようです。
明治時代、廃藩置県により一時高田県となりますが、明治4年に福 島県となり釜子、千田、形見、栃本、蕪内、深仁井田、上野出島、下 野出島、小貫、大田輪の各村でした。明治22年の町村制施行によって、 釜子村、小野田村の2村となり、さらにこの2村が昭和30年3月、町 村合併促進法に基づき合併し東村が誕生しました。
東村の名称は、西白河郡の東端に位置し「光は東方より」の意味を 込めてつけられたものであり、その後、昭和30年8月に小貫、大田輪 の両地区が分村し浅川町へ編入し現在にいたっています。