社会科学習資料 第3・4学年 わたしたちの村 ひがし - 000_02/106page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

 ●表 紙 説 明

 釜子陣屋(じんや)があったころの村の絵地図(えちず)です。

 釜子地方は今から240年前の江戸時代(えどじだい)の中ごろから明治のはじめまで、やく130年間、えちご(にいがた県(けん))の高田藩(たかだはん)が治(おさ)めていました。釜子陣屋(じんや)は、江戸時代(えどじだい)の終(お)わりころ浅川より移(うつ)されましたが、60年間奉行(ぶぎょう)によって政治(せいじ)の行(おこな)われたところです。陣屋(じんや)はぼしんの役(えき)でやけ、そのすがたをけしました。

 絵の中心が釜子宿(しゅく)で、本町通りは中央(ちゅうおう)に川が流れ、商店やはたごやが軒(のき)をならべ、ひたち太田(おおた)かいどうには、たくさんの人や馬がいききしていたのです。

 釜子陣屋(じんや)には、お陣屋(じんや)、おくら、ろうやなどが見られますが、今は本町下に陣屋(じんや)あとがあるだけです。東西に流れるのが矢武(やぶ)川、その北にある家のあるところが北町です。その間が田町(たまち)たんぼといって今の役場前通りです。また、うす久保(くぼ)の大池を通って白川道(しらかわみち)が見えますが、そのころ白河に通じる大切な道路でした。

(釜子陣屋絵地図 本町山口和臣氏所蔵)


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は西白河郡東村教育委員会に帰属します。
西白河郡東村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。