社会科学習資料 第3・4学年 わたしたちの村 ひがし - 053/106page

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 「小野田」という名は、明治(めいじ)22年(1889)に、小貫(おぬき)、上野出島(かみのでじま)、下野出島(しものでじま)、大田輪(おおたわ)の4つの村があわさって、小野田村となった時、それぞれのもとの村から名のいちぶをとってつけられたのです。

(3) 明治(めいじ)のはじめから今(いま)の東村になるまでのいきさつ

 ○明治元年(めいじがんねん)(1868)には村が13ありました。
 釜子 かざえもん新田(しんでん) 若栗新田(わかぐりしんでん) 千田(せんだ) 形見(かたみ) 栃本(とちもと) 深仁井田(ふかにいだ) 蕪内(かぶうち) 小貫(おぬき) 大田輪(おおたわ) 上野出島(かみのでじま)  大竹(おおたけ) 下野出島(しものでじま)

 ○明治(めいじ)9年(1876)には大竹(おおたけ)村が上野出島(かみのでじま)村にあわさって12か村になりました。

 ○明治(めいじ)10年(1877)にはかざえもん新田(しんでん)村、若栗新田(わかぐりしんでん)村が釜子村にあわさったので10か村になりました。

 ○明治(めいじ)22年(1889)には、千田(せんだ)、形見(かたみ)、栃本(とちもと)、深仁井田(ふかにいだ)の村が釜子村に、小貫(おぬき)、大田輪(おおたわ)、上野出島(かみのでじま)、下野出島(しものでじま)の村が小野田村として合併(ごうへい)し、また蕪内(かぶうち)村はとなりの五箇村(ごかむら)に入ったため、2か村になりました。

 ○明治(めいじ)40年(1907)に蕪内(かぶうち)は五箇(ごか)村より分かれ、釜子村に入りました。

 ○昭和(しようわ)30年(1955)に釜子、小野田の2つの村があわさって、新しく東村が生まれたのです。
 なお、小貫(おぬき)と大田輪地区(おおたわちく)はとなりの浅川(あさがわ)町に入りました。

明治のはじめから今の東村になるまでのいきさつ


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