社会資料第3・4学年 わたしたちの村たいしん-056/105page
4)交通のうつりかわり
むかしの道路は、道はばがせまく川ぞいや、山ぎわを通ったり、けわしい山道や、坂道が多かったり、雪のつもる季節には、いききができなくてこまることもありました。今のように自動車がない時代には、白河や矢吹へ買い物に行くのも、歩いて行くか馬をつかうしか方法がありませんでした。
定期バスが通うようになると、バスで白河や矢吹へ買い物に行けるようになり、病院へ行くのにも、そう時間をかけなくてすむようになりました。
今では、ほとんどの家で自動車をもつようになりました。その上、道はばを広げまっすぐにしたり、ほそうしたりしたので、交通はますます発達しべんりになりました。
★交通の発達のようすをしらべましょう。
交通のうつりかわり
昭和 1981 ・東北新幹線が通った。
・矢吹・天栄線がせいひされた。1973 ・東北縦貫自動車道ができた。 1970年ごろ ・日和田一上小屋間の道はばを広げ道路がほそうされた。
・隈戸にはばの広い新しい道路ができた。
・矢吹一天栄線の下新城堂山に新しくはばの広いまっすぐな道路ができた。1068 ・東北本線がふく線になった。
・隈戸川万ざい橋が新しくなった。
・このころから自家用車が入った。
・中新城に道はばが広いほそう道路ができた。1960 ・東北本線が電化された。 1927 ・白河一牧内・矢吹一上小屋の間をタクシーが通った。
・県南バス(今の福島交通)が開通した。(白河牧内・矢吹原町)大正 1887 ・東北本線が開通、白河・矢吹駅ができた。 明治 ・このころから荷駅車が利用された。 ・自転車がふつうの乗物となった。 400年ほど前 ・奥州街道がせいびされた。 ・茨城街道ができた。(白河一町屋-大里牧内) 江戸 ・大信村を通って会津へ行く会津街道ができた。(飯土用一上小屋一牧内一)
中新城を走る東北新幹線
上小屋一十日市方面への県道 91.11