わたしたちの町 たなぐら-57/91page
4.きょう土を開いた人びと
(1)きょう土を開いた人びと
わたしたちが安心して住んでいる棚倉町は、久慈川を見おろす高台に城下町として発てんしてきた町です。こうした高台にあるということで、生活上いろいろな問題がありました。
しかし、きょう土を開発した人びとのおかげで、
今の棚倉町は生活しやすくなってきています。
●明治のはじめ、上台を開たくしたようす
1)上台の開たくは、江戸時代からすすめられてきましたが、明治になって、棚倉藩の武士38戸が開たくに参加しました。
今のようにブルドーザなどの機械はなく、すべて人の力であれ地や雑木林をとうぐわなどで根気強く木の根をほりおこし、切り開きいろいろな作物を植えたようです。しかし土地がやせていたために収かくが少なく生活はきびしかったようです。