塙町郷土指導資料集 第3学年 -059-060/066page

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せんそうがあったころ

きかんじゅうなどのれんしゅうをする(昭和10年ごろ) しゃげきくんれんをする女学生(昭和17年)

 

おじいさんの話

おじいさん

 せんそうがあったころを思いだすと、本当にこわくなってくるよ。まだ、私は、子どもだったから戦争には行かなかったけど、友達のお父さんがせんそうに行って死んでしまったんだよ。

 てきのひこうきがとんできて、夜はランプの光が家の外にもれないようにランプのかさにぬのをかぶせてすごしたんだよ。

 塙はくうしゅうにはあわなかったけど郡山市がくうしゅうにあった夜は北の空が真っ赤になってね、こわくてねむれなかったよ。

 

せんそうのころの生活

おばあさん  せんそうがあったころは、今のようにお店に行けばなんでも売っていたわけではなく、はいきゅうといって、かぞくの人数分の食料をもらって生活していたんです。米、みそ、しょうゆ、しお、さとう、マッチ、木たん、などです。でもそれだけでは、とてもおなかいっぱいにならなくてね、どの家でも野菜をつくったりしてなんとか食べていたのね。

 

せんそうのころの遊び

おじいさん  昔は、何でも自分でつくったもんだよ。竹馬やたこを作ったり、みんなであそびながらきょうそうしたもんだ。今のこどもたちは、あんまり外であそばないが、昔は、家で遊んでいたらおこられたもんだ。あかんぼうから中学生ぐらいのおおきな人までみんなでいっしょにあそんでたのしかったなあ。

 

ぼくら、どくガスもへっちゃら(昭和10年ごろ) 夏の体育は川で水泳(昭和のはじめ)

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