塙町郷土指導資料集 第3学年 -063-064/066page
3 つたえる人 うけつぐ人 名代官 寺西封元(たかもと) 寺西は寛政四年(1792年)から二十二年間、塙の代官として働きました。あれはてた農村の立て直しに力をそそぎ、またわるいしゅうかんをあらためさせました。こうしたさまざまな努力が、名代官と語りつがれるいわれです。 歴史に詳しい人の話 塙代官所について 享保14年(1729年)から慶応4年(1868年)までの139年間、塙代官陣屋(じんや→役所のこと)がここに置かれていました。陣屋の大きさは、土地が約1650つぼ(たたみで3300枚分)、表ご門をはじめ、御殿(ごてん)、長屋(ながや)などの建物が立ちならび、まわりにはほりがめぐらされていました。ほりの外には、番所(ばんしょ)や土蔵(どぞう)などもあったと伝えられています。こうしたことからも当時の代官の力が強かったことがわかります。今でも土地の名前として代官町が残っていますね。 むかしからのでんとう行事
名代官 寺西封元(たかもと)
寺西は寛政四年(1792年)から二十二年間、塙の代官として働きました。あれはてた農村の立て直しに力をそそぎ、またわるいしゅうかんをあらためさせました。こうしたさまざまな努力が、名代官と語りつがれるいわれです。
歴史に詳しい人の話
塙代官所について
享保14年(1729年)から慶応4年(1868年)までの139年間、塙代官陣屋(じんや→役所のこと)がここに置かれていました。陣屋の大きさは、土地が約1650つぼ(たたみで3300枚分)、表ご門をはじめ、御殿(ごてん)、長屋(ながや)などの建物が立ちならび、まわりにはほりがめぐらされていました。ほりの外には、番所(ばんしょ)や土蔵(どぞう)などもあったと伝えられています。こうしたことからも当時の代官の力が強かったことがわかります。今でも土地の名前として代官町が残っていますね。
むかしからのでんとう行事