矢祭町町勢要覧 -004/029page
時の旅 YAMATSURI
昭和三十年、豊里村と高城村の南部(大字関岡、内川、茗荷)が合併し て矢祭村となる。
教育文化の充実、農林業の振興、保健福祉の充実、福祉施策の推進、生 活環境整備や人づくり事業の推進等が矢祭町の歴史を物語る。近年に おいては、ユーパル矢祭などの総合施設が新たなコミュニケーション の場として活用されている。
町の沿革史 古代 東夷の地 成務天皇代 陸奥の国白河郡 養老二年 陸奥の国石城、石背に分かれて石背国に属す 中世 その後陸奥の国に合併 平安時代 国・郡・里の別ありて白河郡は常世・高野・依上等十七郷に分つ (倭名抄の頃) 陸奥国のうち高野郡・白河郡にわかれる 鎌倉時代 結城氏の所領、高野郡 南北朝時代 陸奥の国高野郡南郷のち高野郡廃止され白川郡となる 室町時代 佐竹氏の所領 白川郡 近泄 江戸時代 慶長八年 幕府直轄領棚倉代官 慶長十三年 棚倉藩領 享保十四年 幕府直轄御料 塙代官 近代 明治時代 明治四年 棚倉県のち磐前県 明治九年 福島県 明治十二年 郡区制しかれる東白川郡と西白河郡 明治二十一年 町村制にて豊里・石井・高城の三村となる 現代 昭和三十年 矢祭村誕生(三村合併) 昭和三十八年 矢祭町発足(町制施行)