矢祭町町勢要覧 -004/029page

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時の旅 YAMATSURI

 昭和三十年、豊里村と高城村の南部(大字関岡、内川、茗荷)が合併し て矢祭村となる。

 教育文化の充実、農林業の振興、保健福祉の充実、福祉施策の推進、生 活環境整備や人づくり事業の推進等が矢祭町の歴史を物語る。近年に おいては、ユーパル矢祭などの総合施設が新たなコミュニケーション の場として活用されている。

S48 学校給食センター
▲ S48 学校給食センター

S50年代 献血風景
▲ S50年代 献血風景

S54 救急分遣所完成
▲ S54 救急分遣所完成

S57 矢祭山友情の森オープン
▲ S57 矢祭山友情の森オープン

S61 町村合併30周年記念 人文字
▲ S61 町村合併30周年記念 人文字

H元 新夢想橋落成
▲ H元 新夢想橋落成

H3 舘山ランドログハウス
▲ H3 舘山ランドログハウス

H6 ふるさと人づくり事業講演会
▲ H6 ふるさと人づくり事業講演会

H7 せせらぎ荘オープン
▲ H7 せせらぎ荘オープン

H8 国際交流員招致の開始
▲ H8 国際交流員招致の開始

町の沿革史
古代東夷の地
成務天皇代陸奥の国白河郡
養老二年陸奥の国石城、石背に分かれて石背国に属す
中世その後陸奥の国に合併
平安時代国・郡・里の別ありて白河郡は常世・高野・依上等十七郷に分つ
(倭名抄の頃)陸奥国のうち高野郡・白河郡にわかれる
鎌倉時代結城氏の所領、高野郡
南北朝時代陸奥の国高野郡南郷のち高野郡廃止され白川郡となる
室町時代佐竹氏の所領 白川郡
近泄
江戸時代
慶長八年幕府直轄領棚倉代官
慶長十三年棚倉藩領
享保十四年幕府直轄御料 塙代官
近代
明治時代
明治四年棚倉県のち磐前県
明治九年福島県
明治十二年郡区制しかれる東白川郡と西白河郡
明治二十一年町村制にて豊里・石井・高城の三村となる
現代
昭和三十年矢祭村誕生(三村合併)
昭和三十八年矢祭町発足(町制施行)

町の沿革史


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矢祭町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。