鮫川村勢要覧資料編 -001/012page

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1977鮫川村勢要覧

資料編

Samegawa Data Book
鹿角平観光牧場
鹿角平観光牧場

鮫川村の位置

沿革

鮫川村に人が住みついたのは、村に残る高藪遺跡を姿平西遺跡から、縄文時代前期と推定されます。また、縄文時代中期から弥生時代後期におよぶ数々の遺跡も発掘 されています。
この地方一帯は、上古は「陸奥」、中世は「赤坂の郷」と呼ばれ、中世以降は、芦名氏、上杉氏、赤坂氏の所領、幕府直轄、さらに小見川藩、棚倉藩の所領と、次々に 領主の交代がありました。
明治4年、廃藩置県により棚倉県と小見川県の所管となり、同年の合併により平県に所属、すぐに平県は磐前県と改称されました。明治9年に福島県が成立し、町村制が 実施されました。明治22年、赤坂西野村、西山村、赤坂中野村、赤坂東野村、石井草村、富田村、渡瀬村の7か村が合併して、現在の鮫川村を構成しました。赤坂東野と 石井草を併せて1行政区とし、他は旧村を1行政区として、6行政区で村政が行われました。昭和22年、地方自治法の施行により、町村制の村から地方自治法に基づく 地方自治体に。昭和24年、渡瀬地区から青生野を1区に独立させ、7行政区となり現在に至っています。
    
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