北会津の昔ばなしと伝説 -036/238page
「その矢は俺が射(い)た矢だ。我こそは、陸奥の住人鳥(じゅうにんとり)の峯(みね)の矢三郎(やさぶろう)なり。尋常(じんじょう)に勝負(しょうぶ)、勝負(しょうぶ)。」
と言って二人は、決闘(けっとう)を始めただど。
くんずほぐれず、追いつ追われつ、野を越(こ)え山を越(こ)え、川を渡って、七日七夜を戦(たたか)い通(とお)し、二人とも、刀傷(かたなきず)でぼろぼろになりながら死闘(しとう)を続(つづ)けて、真渡(まわた)まで来たんだど。
景正(かげまさ)は、最後(さいご)の力を振(ふ)り絞(しぼ)って、とうとう鳥(とり)の峯(みね)の矢三郎(やさぶろう)を討(う)ち取(と)ったんだど。
景正(かげまさ)もまた刀傷(かたなきず)がもとで力尽(ちからつ)きてしまったんだど。
そこで、村人は、真渡(まわた)の御霊神社(ごれいじんじゃ)に鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)を祀(まつ)ったので、
別名五郎神社(ごろうじんじゃ)とも言うようになっただど。また、鳥(とり)の峯(みね)の矢三郎(やさぶろう)は、荷渡神社(にわたりじんじゃ)に祀(まつ)られたんだど。
鬼のように強い矢三郎を祀(まつ)ったので鬼渡神社(おにわたりじんじゃ)といわれるようになったんだど。