北会津の昔ばなしと伝説 -047/238page

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15 思(おも)い 堀(ぼり)(2)

 むかし、むかし、あっただど。

 清水(しみず)の良く出る郷(さと)があっただど。清水(しみず)の出るところから堰(せき)をつくり、田圃(たんぼ)に水を引いて、たくさんのお米を作って暮(く)らしていたんだど。しかし、その郷(さと)は大雨が降るといつも大洪水(だいこうずい)となり、折角(せっかく)の堰(せき)もその都度(つど)こわされてしまい、農民が大変困(たいへんこま)っていたんだど。中には、離農者(りのうしゃ)まででたんだど。

 その頃、芦名家(あしなけ)の家臣(かしん)で小森備後(こもりびんご)という人がおっただど。

この人は、農民の難儀(なんぎ)を見かねて、殿様(とのさま)に農民の困窮(こんきゅう)の実情(じつじょう)を申し上げた際に、

 「大川の水を本郷村(ほんごうむら)の岩崎山(いわさきやま)の麓(ふもと)から下小松村(しもこまつむら)や中荒井村(なかあらいむら)を経(へ)て海津村(かいづむら)に、そこから鶴沼川(つるぬまがわ)に注(そそ)ぐ堰(せき)を造(つく)って水を流し、田圃(たんぼ)の灌漑用水(かんがいようすい)としたらいかがだべ。」


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