私たちの村の農業 農業副読本編纂推進事業 - 013/032page
A 土地利用のようす
昔の農業は、馬や牛を使って物を運んだり、田畑を耕したり、代かきなどをするほかは、ほとんど体を使っての仕事でした。
このため、田植をするにしても、何人もの人をたのんで、いく日もかかっていました。
昭和30年ごろからは、牛や馬に代って小型の機械が田畑にも使われるようになり、農作業の能率も上ってくるようになりました。今までのような飛び地の小さな田んぼや、曲りくねった用水排水路では仕事がしにくくなってきました。
それに、春の干ばつの時には、田植ができなかったり、植えた稲もかれるほどの水不足にみまわれて、水のうばい合いであらそいが起ることもたびたびありました。また9月から10月ごろの台風期には、大雨が降ると河川がはんらんして洪水となり、冠水(かんすい)・流失(りゅうしつ)・埋没(まいぼつ)などで、土地や農作物に大きなひがいをうけてこまっていました。
このほか、雑木林・原野などを農用地にきりかえて耕地を増やし、生産性の高い新しい村づくりを目ざす気運が高まってきました。
昭和36年、村では農業構造改善事業(こうぞうかいぜんじぎょう)を柱とする全村ほ場整備事業基本(じょうせいびじぎょうきほん)計画ができあがり、昭和38年から着工されました。村が事業を行うために導入した事業名は次のとおりです。
1.第一次農業構造改善事業(土地基盤整備事業)
(中荒井地区:事業主体・北会津土地改良区)
2.団体営ほ場整備事業
(西後庵地区:事業主体・北会津土地改良区)
3.県営ほ場整備事業
(北会津地区:事業主体・福島県、負担団体・北会津土地改良区)
(北会津第二地区:事業主体・福島県、負担団体・北会津土地改良区)
(北会津第ニノニ地区:事業主体・福島県、負担団体・北会津土地改良区)