わたしたちのきょう土河東町-055/104page
(2) 河東第二小学校
【むかしの学校(100年ぐらい前)】
河東第二小学校は1873年(明治6年)に、八田野村法性寺のけいだいをかりて学校にしたのが始まりです。そのときは、八田野小学校といいました。そのあと、1879年に強清水の山ロ与吉氏宅をかりて強清水分校が開かれるなど、むかしはお寺やふつうの家をかりて学校にしていました。当時の児童の数は多くありませんでした。このころは、家の手伝いやお金がかかるという理由で、学問はいらないと考えられていたからです。先生は2人でした。児童は着物すがたで、ふろしきに勉強道具をつつみ、学校にかよいました。
今の場所に学校がうつったのは1889年(明治22年)です。
【おじいさん、おばあさんが子どものころ(80〜50年ぐらい前)】
このころは、日橋第二尋常高等小学校から日橋村第二国民学校に、そして、日橋村立日橋第二小学校と校名があらためられ、校舎は木造2階だてで、小学校と中学校がいっしょにありました。戦争中から戦後にかけては、子どもの数も多くなりました。
▲八田法性寺
▲日橋第二尋常小学校全景