わたしたちのきょう土 磐梯町 -047/116page
(2)磐梯第二小学校のうつりかわり
明治時代の学校
1873年(明治6年),上西連の西真寺に公立の学校がおかれたのはじまりです。
1887年(明治20年),磐梯尋常小学校の大谷分数室となりました。
1891年(明治24年),大谷や赤枝地区の人々は,独立した校舎をつくるための寄付金をだしました。村では税金をだして,いまの校舎のあたりに,最初の校舎をつくりました。
1892年(明治25年)人々の願いがかなって,独立した小学校となりました。大谷尋常小学校の誕生です。
1907年(明治40年),義務教育が4カ年から6カ年になりました。このころ校舎がいたんできたので,地区の人々は寄付金をだし,村では税金や借入金をつごうして新しい校舎をつくりました。
大正,昭和から現在まで
1916年(大正5年),磐梯の小学校に高等科がおかれると,大谷や赤枝地区から磐梯の高等科に入るものが増えてきました。
その後,磐梯第一小学校と同じように,何回か学校の名前