郷土読本 わたしたちのきょう土 猪苗代-092/112page

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5 きょう土を開く
1 かんがい用水をつくった人びと
(1)土田ぜき
保科正之は,1643年から1669年までの26年間,会津の大名でした。正之は,猪苗代を大へん気にいっていました。1672年8月,猪苗代の見祢山で湖や山をながめながら「わたしが死んだら,この見祢山にほうむってくれ,そして磐椅神社の末社としてくれ」と家来にゆい言をのこし,その年の12月になくなりました。
正之のひつぎは,1673年3月27日,正之の子正経によって見祢山にほうむられました。
正経は,正之を見祢山にほうむったので,その霊を祭る神社をつくろうと考え,家老であった友松勘十郎氏興にその仕事をまかせました。
友松勘十郎氏興は,正之にみとめられ,40才で家老になった人です。氏興は,反対する幕府に,神式で祭ることをなっとくいくよう説明し,正之を見祢山にほうむり土津神社をつくりました。その神社を,大名がかわっても長く守っていくためには,村をつくり田をつ
土津神社
土津神社(見祢山)
上津神社墳鏡石
上津神社墳鏡石(見弥山)

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