郷土読本 わたしたちのきょう土 猪苗代-094/112page
そくりょうするのに,夜,ちょうちんをぼうにくくりつけてならべ,それを遠くからながめて,土地の高さをはかったといわれています。
工事のようす
こうしてできた土田ぜきですが,1888年(明治21年)7月15日の磐梯山のふん火によって,取り入れ口から見祢まで,ばく発によって流れ出た土や石でうまってしまい,米の取れ高もへってしまいました。
その当時の土田ぜきの監守で,せきの経営にあたっていた寿田直二は,一日も早くせきをなおそうと,ねる時間もおしんで努力しましたが,1889年(明治22年)2月に病気でなくなりました。
直二のできなかった工事をひきついだのは,直二の子の直一郎でした。
直一郎は,一日も早く水田に水をとおそうと,村役人らと協力し,せきをもとどおりにつくりなおしました。
寿田直一郎頌徳碑(見祢山)