喜多方市勢要覧 -011/026page
The Roman of Kitakata
喜多方市には、由緒ある寺 院が少なくない。四方を 山に囲まれた、閑静なま ちに暮らす信仰篤い人々は、そこ にまつられる仏像たちに、深い祈 りを捧げ、守り続けてきた。これ らの仏像や建造物には、文化財と しても優れたものが多く、喜多方 の長い繁栄の歴史が偲ばれる。
なかでも、願成寺の「木造阿弥陀 如来及両脇侍坐像」は、寄木造り で、鎌倉時代の作とされ、国の重要 文化財の指定を受けている。会津 大仏とも称されるように、241センチの堂々とした大きな仏像である。 観音菩薩と勢至菩薩を脇侍につけ、 千体仏を散りば めた船形光背を 背に、ゆったり と座している。 三億とも金箔が 貼られ、金色の 輝きは観る者を 圧倒する。二重 蓮台の上に結跏跌座(けっかふざ)といわれるあぐらをかいたポ ーズで座す来迎仏は、東北では珍 しく、京都大原三千院の来迎三尊 像に習ったものといわれる。
同じく国の重要文化財である中 善寺「木造薬師如来坐像」は、藤 原時代の様式を継承した、寄木造 り、漆箔(しっぱく)押の88センチの坐像で、鎌 倉時代の作とされる。丸く優雅な 面差しや、ゆるく流れる翻波(ほんぱ)式の 衣紋(えもん)など、整った姿が気品を感じ させる。中善寺は、真言宗関堂山 と称し、若松の弥勧寺の末寺で、 延慶3年(1310)忍阿上人が 開山したと伝えられる。
もうひとつの国の重要文化財「勝福寺観音堂」 は、昔京都か ら松島へ行く 途中、この地 で亡くなった 「勝(すぐれ)の前」の冥 福を祈って建 てられたとい われる和様・ 唐様の折衷建築で、室町時代中期 の建造物として貴重なものである。
また、重要美術品として国から 認定される太用寺の「木造釈迦如 来立像」は、1300年の前期に作 られた、清涼寺釈迦像で、檜寄木造 り、高さ164.3センチの等身像。京 都嵯峨の清涼寺本尊と同じ材料・ 作法といわれる。同心円風の衣文 とうず巻き状の髪形、右耳のみに 玉をつけた珍しい様式をしている。 これは奈良・東大寺を中心とする 禅宗の流れが、古くから喜多方ま で及んでいたことを示している。
県指定の重要文化財としては、 勝福寺の「木造不動明王立像」や 「木造毘沙門天立像」があげられ る。二体一対で観音菩薩を守る脇 侍で、弘安2年の墨書銘がある。 福聚寺の「銅造観音菩薩立像」は、 高さ33センチ余りの金銅仏で、奈良 時代前期の白鳳時代のものといわ れている。長い歳月を経たこれら 喜多方の文化財は、いにしえの人 々の信仰と篤い祈りを今に伝える。