ぼくたち、わたしたちの北塩原村-070/110page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

5 郷土をひらく
1.ゆたかなくらしをもとめて
(1) 網取堰ができたわけ
北山地区から喜多方市の関柴町と熊倉町にかけては、扇状地(川が山から平地に出たところに土や砂をたい積させたところ)になっています。したがってこの扇状地上にある北山、下吉、谷地や、喜多方市の京出、中里、東・西中明、上・下勝などの田の用水をどこから引くかとても苦労してきました。また、
1) 大塩川は扇状地の東の部分を流れるため水田の用水としては有効に利用できない。
2) 三の森川、渋川は水の量が少なく扇状地全体に水を引くことができない。
などの理由により、古くから人工的に水路(堰)を作り荒れ地に田を作ってきました。
郷土をひらく

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は北塩原村教育委員会に帰属します。
北塩原村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。