ぼくたち、わたしたちの北塩原村-084/110page
(2) 雄国沼の水を引く
〜大塩平左衛門の偉業〜
平左衛門の父、吉次は会津城主(加藤氏)より大塩の姓と100石の知行(武士に与えられた領地)を与えられ、代官・檜原の関を守る人として大塩村に住んでいました。吉次はかねてから雄国山麓一帯に新田を作ろうと考えていました。そのためにはひと山越した雄国沼から水を引くいがいには方法はありませんでした。そこで、吉次は開墾の願いを城主にだしました。
1657年(明暦3)にその願いがゆるされ、その子平左衛門が父にかわって大事業をやりはじめました。
工事は
第一回目の工事 「雄国沼に新しい堤防を作る工事」(古い沼を三倍以上にする工事)
第二回目の工事 「雄国山の中腹の洞門工事」(トンネルをほる工事)
第三回目の工事 「洞門から雄国山麓の用水路の工事」(トンネルの出口からの用水路の工事)
第四回目の工事 「仕上げの工事」(新しい田や用水路を作る工事)
の四段階に分けられました。