塩川町勢要覧 -012/030page

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会津に伝わる悠久の心。

脈々と息づく深い伝統。

会津藩祖保科正之の頃に始まったといわれる会津三十三札所巡り。
念仏講の人々に脈々と受け継がれる中ノ目の念仏踊りや十基の太鼓台が繰り出し、お囃子が鳴り響く駒形神社の祭礼など、会津の人々の暮らしには、悠久の心を伝える伝統文化が今も息づいている。

神社の屋根

 塩川には、古来より人々の暮らしに深く根づき、守り継がれてきた信仰や祭祀 が数多く残っている。そして現在も、塩川の人々の日々の生活に息づき、溶け込 んで、先人たちの篤い信仰心と悠遠の思いを私たちに伝えている。

 阿賀川と米沢街道沿いに発達したといわれる会津三十三札所巡り。この信仰は、寛永二十年(一六四三)に、会津藩祖保科正之が三十三歳で会津の領主としてや って来たことから、伊勢参りや熊野参り、さらには西国三十三札所巡りに出る者が増え、そのたびに多額の費用が領外に流れるため、その防止策として三十三の霊場を選んだのがはじまりとされている。

 三十三札所巡りは、当時の会津の女性たちの楽しみのひとつとされてきた。札 所巡りの朝、女性たちはまだ明けやらぬ空を眺めながら塩川を出て、その日は熱 塩温泉に泊まる。そして勝や竹屋を経て二泊目をわが家で迎える。三、四日目に は石塚観音、会津高田を経て、最終日は結願の霊場三十三番御池から阿賀川の紺碧を渡る。この旅を通して女性たちは、行き交う人々とのふれあいを経験し、他村の風俗習慣や村づきあいの大切さを学ぶ。そうして自らの内にある優しさや慈しみの心を見つめ直し、心豊かな女性となっていったのである。

 一番札所の常安寺は大木にあり、一尺三寸の十一面観音をまつっている。八番 札所である竹屋の木造如意輪観音坐像は、運慶の作とされ、県の重要文化財に指 定されている。この本尊は、安産を守る子安観音として知られ、永く女性たちの 信仰を集めてきた。そして、下遠田にある九番札所の大光寺は、会津風土記によ れば平安初期の創設とされている。木造の千手観音をまつるこの寺には、三十六 坊院や三重の塔があり、耶麻地方の高野山とも呼ばれていた。これらの寺は、塩 川の人々の篤い信仰心により守り継がれ、再建されて現在に至っている。

 中ノ目の中眼寺に伝わる中ノ目念仏踊りは、幕末、山本七右衡門・七平兄弟の熱心な布教によってはじまったといわれている。鐘や太鼓の囃子に合わせて踊るこの踊りは、念仏講の人々に今も脈々と受け継がれている。その信仰の深さを感じさせるこの伝統行事は、町指定の重要無形民俗文化財にも指定されている。

 その勇ましさと華やかさで知られる駒形神杜の祭礼は、百年の伝統を誇る塩川 の秋の祭りである。町内から出陣する十基の太鼓台は、それぞれに趣向を凝らし て飾りつけられ、笛や太鼓、鐘にあわせて勇ましい掛け声とともに練り歩き、そ の技や優美さを競い含う。お囃子には「涼み」「練り込み」「登龍囃子」「少年神楽」があり、親から子へ、子から孫へと永く伝承されてきたお囃子にあわせて拍子をとり、祭りの旋律に耳を傾けていると、悠久の人々の心にふれる思いがする。

会津三十三札所の一つ

神社の境内

お祭りの光景


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