わたしたちのまち 塩川 -078/108page

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(2)町のうつりかわり

(1) 村から町へ

次の図は、塩川町が―つの町になるまでのうつり変わりを表にしたものです。

今から140年前ごろ (明治のはじめ)には、村が42もありました

明治8年から明治10年にかけての第―次合併(がっぺい)では、17の村にりました。

明治22年の第二次合併(だいにじがっぺい)では、今の4つの地区である、塩川村、堂島村、姥堂村、駒形村になりました。その後、姥堂村は、塩川村と組合を作り、協カ(きょうりょく)し合うことになりました。

明治42年(約91年前)には町制(ちょうせい)が実施(じっし)され、塩川町・堂島村・姥堂村・駒形村の―町二カ村となりました。

大正13年には、姥堂村が、塩川町から分かれました。昭和29年(約46年前)7月1日の町村合併(がっぺい)で、今の塩川町となりました。

わたしたちの住んでいる地区は、どのように変(か)わってきたのか調べてみましょう。

※一次合併(がっぺい)・・・このころは村と村とがあわさってひとつのむらになった


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