高郷村勢要覧 -009/035page

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「たかさと」の誇りは歴史と民俗から。

旧石器時代の遺跡
日本列島には無かったとされる旧石器時代の遺跡たち。
塩坪の太古の海の化石群が眠る大地の表層は沼沢シラス。今から1万〜2万年の昔の陸上火山の噴出物で、その下から東北地方初の旧石器時代のナイフ型石器が大量に出土。先人のくらしの知恵を学びます。

土器
土器と。イノシシの骨片と。館跡と。村はまるで古墳の団地。
河岸段丘を覆う会津シラスからは、縄文時代から平安時代にかけての遺構・遺物を次々と発掘。只見川と阿賀川の合流地点高郷村は、まるで古墳の団地。古くから住みよい里だったのです。

会津領7木8草の第一、漆木と村の民俗がにじむロウ絞め道具たち。
会津領7木8草の第一、漆木と村の民俗がにじむロウ絞め道具たち。
江戸期の会津は、漆器の椀物と灯火用のロウを我が国が国随一の特産とし、山野に200万本ものウルシを植えます。その誇り高い藩政を支えた、年貢のロウ絞め道具に、村里の風俗のルーツをしのびます。

従来之諸士へ不敬痛致ましき事!!水陸の交流をしのぶ渡船場の制札。
従来之諸士へ不敬痛致ましき事!!水陸の交流をしのぶ渡船場の制札。
川と緑に抱かれた村里は6つの舟渡しと数多くの峠道で結ばれておりました。只見川と大川の合流地点の川井は、阿賀川の舟運や木流しにも欠かせぬ舟場。史料・制札が往時の賑わいを物語っています。

会津の古道すじに語り継がれる史跡 伝小野小町塚。
会津の古道すじに語り継がれる史跡 伝小野小町塚。
小野小町は、平安時代の百人一首に登場する都の女流歌人。年老えて故郷の出羽ノ国へ帰る途中、この地で病に伏し、村人の手厚い看護もむなしく世を去ったという哀話が語り伝えられています。

 古くは海の入江であった山国会津盆地。日本海と白川関を結ぶ道は、会津路の母なる阿賀川の河岸段丘に沿って拓かれておりました。
 その川すじが村の中央に横たわる高郷村は、往き交う人や物資、情報の交流拠点の一つとして、その活力を得て発展してきました。
京の歌人・小町塚が物語るみちのく路と結ぶ古道。
 たとえば、化石の宝庫・塩坪下流のへつり山。古道は、この断崖の中壁に峠道の名残りを止め、ヒメサユリの匂う塩峯峠を越して西羽賀の渡しと結んでいました。
 蛇行する川すじを最短ルートでよこぎるこの渡し場は川幅100メートル余の東西の相宿。道は対岸の東羽賀から高寺山の峠道を越して会津盆地へ下だります。
 平安時代の頃に幻の高寺三千坊と称された堂塔が建ち並ぶ様は、さながら極楽浄土のようであったと語り継がれております。その郷土が誇る高寺の「高」の文字が村名に刻まれているのです。
京の文化を吹き上げた川畔の村里の床しい民俗。
 そして、阿賀川の流れは揚川(あががわ)や会津川とも称され、山国会津にとって、外界と結ぶ重要な船道でした。
 たとえば江戸期に、大阪の蔵屋敷に送られた上方廻米が5万俵。上り荷の瀬戸内の塩は4万俵。それに、会津特産の薪炭、麻やからむし、たばこ、塗物、上方物の綿や麻の織物、古着、鉄、海産物など、5千駄もの商荷がこの舟運に頼っていたのです。
 塩坪のへつり山下の岩場では、村の人夫たちが上り舟を川岸から曳き上げた、綱手道の昔語りをしのばせています。
 また、天領・南会津の豊富な木材は川を流し下だり、村には中乗りや筏師たちの船宿もありました。
近代国家史に特筆されるJR磐越西線昔語り。
 ロシアとの日本海海戦直後、大陸との交流の重要性を痛感した我が国は、東京と新潟港を最短時間距離で結ぶ阿賀川ルートへの鉄道敷設を急ぎます。大陸に満鉄設立の翌年、明治40年(1907)のことでした。
 阿賀川と会津横断の古道にからみつくようにして、鉄橋99、隧道32を連ねる難工事で、大量のレンガが組み込まれていきます。
 高郷村の「青石」が広く県外にも知られるようになったのは、荻野駅ができてからでした。
問屋と。旅篭と。駄賃稼ぎと。交流が育んだ村の活力。
 高郷の村里は、古来、峠の麓の宿や川渡し、水運の船着、鉄道の駅前など、人や物資が集散する情報の交流拠点をゆかりとし、そこから葉脈状に近郷や他境と結ぶ追分け地点に発達しました。
 二十一世紀は、農村と都市の交流の時代。わたくしたちは、これら村里の床しい歴史と民俗に郷土づくりの英知を学びます。

化石標本1

化石標本2

村人が5人がかりで上り舟を曳いた塩坪へつり山下の綱手道趾。
村人が5人がかりで上り舟を曳いた塩坪へつり山下の綱手道趾。
船道・阿賀川は、会津盆地の川港・塩川河岸から新潟の海まで約150km。越後山脈をよぎるため、急流が多く、上り舟は岸の岩場から人手で綱を曳き、難所は陸上を駄馬運送で中継しました。

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高郷村の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。