あいづばんげ町勢要覧 -004/034page

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街道の軌跡

古来会津は四方を山に囲まれ、 その中央部が沼や湿地帯だ った頃、その周辺に最初 の人々の生活が営まれた。それは 居万年を遡る旧石器時代のことで あった。これに 続く縄文時代八千 年の暮らしの跡は坂下 西部の山麓に広く分布し、土器 や石器を見付けることができる。石 器にはヒスイや黒曜石などがあり、 当時の交易の広さを物語っている。

 ムラができ、鉄器が普及し、食物 が豊かになると、ムラとムラとの争 いも始まった。強いものは弱いもの を従えあちこちにクニがつくられて いった。男壇遺跡・宮東遺跡・細田 遺跡・稲荷塚遺跡などの周溝墓群は これらのクニの指導者であろうか、 周溝墓から出土した血の色に塗られ た底のない土器は、北陸色の濃いも のだという。

 四世紀のはじめ頃、突如として巨 大な支配者の墓がつくられる。古墳 時代の始まりである。"えみし"の住 む未開の地東北、さらに未開の地と 考えられていた会津坂下町に東北第 二位の巨大古墳「亀ヶ森古墳・鎮守 森古墳」が存在しようとは想像もつ かなかった。さらに最近の調査によ って四世紀前半に潮る「杵が森古墳」 「臼が森古墳」が調査されている。こ れら古式の前方後円墳のルーツは畿 内政権に直結するといわれ、会津坂 下町が"えみし"の住む未開の地で はなかったことが証明されようとし ている。

 会津坂下町はどこを調査しても掘 立柱建物跡に突き当たるといわれて いる。発掘調査の結果によれば、律 令制下の官衙を思わせるような建物 跡が、大江古屋敷遺跡・青木遺跡・ 高畑遺跡・三本木遺跡などから発見 されている。

 これらの遺跡と古文献をつなぐ と、会津坂下町、ひいては会津の、 さらに東北の歴史が見えてくる。『和 名抄』にみる会津郡大江郷と大江古 屋敷遺跡、虫偏に巻河荘と 三本木遺跡など である。これらからは、輸入青磁や 白磁、たくさんの硯、緑釉陶器など の発見が相次いでいる。

 畿内の文化をいち早く受容した会 津坂下町の古代人は、古墳時代・奈良 時代・平安時代をとおして、これを積 極的に吸収していった。今私たちが 誇りにしている宇内の薬師如来・恵 隆寺観音堂をはじめとした、会津坂 下に花開く仏教文化もこのような歴 史の延長上にあるものといえる。

土と器が伝える文化

農村の面影が残る集落に点在する古墳の数々。
その中でも亀ヶ森古墳は全長一二七mの前方後円墳で、
平地部にある古墳としては東北最大のものである。
それらは古代の生活様式や文化を今に伝えながら
悠久の歴史ロマンの世界へと誘ってやまない

1.人物埴輪の顔
人物埴輪の顔

2.家型埴輪
家型埴輪

3.平地では東北最大といわれる青津亀ヶ森古墳(国指定史跡)
平地では東北最大といわれる青津亀ヶ森古墳(国指定史跡)

4.鬼渡横穴古墳出土玉類
鬼渡横穴古墳出土玉類

5.縄文時代の石器
縄文時代の石器

6.深鉢型土器(馬高式期)沢口遺跡出土品


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会津坂下町の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。