会津本郷町勢要覧 -004/015page

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歴史香る文化の町

[東北最大級の山城跡]

 若松城から西側、磐梯山の反対方向にひときわ 大きくどっしりとした白鳳三山が見渡せます。この白鳳三山とは観音山・羽黒山・岩崎山をいいます。
 「向羽黒岩崎城」は、岩崎山を中心に羽黒山と観音山を出城として、南北1Km余りを城域とする巨大な山城です。 若松城まで5.5kmと近く、中間に大川(阿賀川)が流れ、要害堅固(ようがいけんごで)、 中世の会津を支配した名族「芦名家(あしなけ)」の本拠にふさわしく映ります。
 当時若松城は、黒川城と呼ばれており、「向羽黒岩崎城」は黒川城の有事の際に立てる籠 (こも)る「詰めの城」であったといわています。斜面は急崖(きゅうがい) で、流紋岩(りゅうもんがん)が露呈(ろてい)し、枯山 水庭を彷彿(ほうふつ)とさせる岩が、険しい景観をつくっています。芦名盛氏 (あしながもりうじ)の時代、画僧雪村(そっせん)がたびたび滞在し、 この巌かな景色が雪村の山水画に大きな影響を与えたことは想像に難(かた)くありません。雪村は盛氏に絵を 教え、向黒岩崎城の障壁画に筆をふるったと伝えられています。
 現在では、「白鳳山公園」として 整備され、大川羽鳥県立自然公園に属し、自動車道路・遊歩道・フィールドアスレチックなど備えた観光名所 となており、国指定文化財に向けた条件整備、有効的な保存・活用が進められています。

歴史香る文化の町

[左下りの観音]
 会津札所二十一番のお堂で、左下りの山の山上約800メートルに建立されています。
 岩と堂がしっかりと支え合い、千年以上もの間、風雪に耐え、庶民の信仰を仰いできました。 みごとな三層閣で、五間(9m)四方、高さ四丈八尺(約14.5m)、東向きで廻り縁があります。 縁先に立てば遠く磐梯山が望み、近くに大川(阿賀川)の清流を見下ろす景勝地にあります。
 天長七年(830年)徳一大師の建立(一説には弘法大師)といわれ、観音堂には石像の秘仏 が安置されて、俗に頚無(くびなし)観音ともいわれています。
 会津藩の教育文化に尽力した学僧如黙(にょもく)がここに住み、花月を友としたところと伝えられています。

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