わたしたちの郷土 会津本郷町 -082/127page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

(2)農業の始まり

 約2,000年前ごろ米づくりが伝わったために,人々は川のそばに,水田をつくって住むようになりました。米づくりがさかんになると,さらに水田をつくったので,村もふえました。

 たくさんの村ができるとその村々をおさめる豪族(ごうぞく)もあらわれました。古墳(こふん)は豪族の墓(はか)で,その墓の大きさでカの強さがわかります。八重松からは古墳の石棺(せっかん)が発見されています。

写真 組み合せ式石棺(八重松出土)
組み合せ式石棺(八重松出土)

(3)武士(ぶし)の世の中へ

 広い土地をおさめるようになった豪族は,たえず他の家族と争い,たくさんの武士をやとって自分を守りました。のちには武士が家族にとって代(か)わり,カの強い武士が領主(りょうしゅ)となり,地方(ちほう)を治(おさ)めました。

 会津地方に大きなカをもっていた領主は,芦名氏(あしなし)で,16代盛氏(もりうじ)は白鳳山(はくほうざん)に向羽黒山城(むかいはぐろさん)を築(きず)きました。本郷町はその城下(じょうか)町としてさかえ,中でも三日町,六日町,本郷町は市場(いちば)としてにぎわいました。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は会津本郷町教育委員会に帰属します。
会津本郷町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。