会津本郷の野仏 -001/090page
序文
私の家の裏の墓地に「御弓隊士八人の墓」の墓碑がかかます。幼い頃から、毎年八月七日の墓参りの最後に、この墓碑に供え物をして帰るのが習わしでありました。その墓碑の由来は祖父に聞いたような気もしますが、五十年以上も前のことで記憶に幕がかかっておりました。
この度、会津本郷町文化財調査委員会の方々の六年間にも及ぶ、我が町の「野仏」調査の成果を「会津本郷の野仏」として発刊することが出来ましたこと、大変嬉しく思います。その中に、記憶の彼方に霞んでおりました墓碑の由来が調査報告されており、幕が開いた思いがいたしました。
「野仏」と一口で表現しますが、地蔵尊から諸供養碑まで四十数種類、二百二十余体にもおよぶものでした。旧道や街の裏道・山道の入口等々、人目を恥ずかしがるかのようにひっそりと佇む石碑の姿には、遠く先祖への想いと先人達の庚申講・巳待講など人々の結びつきを強めた民間信仰に敬服の念を抱かされます。
平成四年。思堀区画整備事業や本郷大橋の開通など、街の様相が大きく変化しつつある時、.会津本郷町文化財調査委員会で「野仏の調査」が議題となり、さっそく調査に取り組まれました。調査は多岐にわたり、倒伏.した雑草に覆われたり、人々の生活から忘れ去られた石仏も多く困難を極めました。
平成七年。会津本郷町広報「あいづほんごう」に」調査で解明できた野仏について写真と解説文を載せ、町民にお知らせいたしました。そして、平成九年「会津本郷の野仏」刊行に必要な資料も整い、草稿も完成いたしました。
平成十年。本書の発刊の日を迎えることができました。解明できました石造文化.野仏の一部しか掲載するに至りませんでしたが、調査・編集にあたられました委員の方々とご指導、ご助言を戴きました多くの方々に感謝を申し上げ発刊の挨拶といたします。
平成11年2月
会津本郷町教育委員会教育長 大 石 徹